脱原発・反原発・自然エネルギーをヒロシマから

「平和とうろう集会」

 8月6日午後7時から9時過ぎまで相生橋上流で開かれました。最後の詩の朗読(若松丈太郎の詩「神隠しの街」などをアーサーと山本太郎さんがバイリンガルで)は、圧巻でした。若松丈太郎さんも集会に参加されました。
ギターとエレクトーンの演奏も終始流れて、気持ちを和ませてくれました。
福島や被爆者からのメッセージも心に響くものでした。若者の発言にも元気をもらいました。
 以下はこの集会で採択された「市民による平和宣言」です。
       市民による8 ・6 広島宣言
 きょう私たちは、特別な思いを持って、ここ相生橋上流の河畔に集まっています。 さきほどまで私たちは、福島県浪江町の馬場有町長の決意を伺うとともに、広島に避 難されている人たちの訴えに耳を傾けてきました。そして灯ろうが流れるこの岸辺に 集まり、あらためて福島と広島の訴えを聞きました。避難者と被爆者と市民、そして 被災地の町長・・・。そこで語られたのは、歴史上最悪の原発事故を経験した私たち は、これからも原発とともに暮らすのか、子や孫たちとともに原発のない社会を築い ていくのか、その岐路に立っているという強い思いです。
 福島原発事故では、多くの人たちが、かけがえのないふるさとを失いました。家族 を、仕事を、人生を奪われました。避難した人だけでなく、不安を抱えながらふるさ とに残ることを決めた人も、みな同じ被害者です。そのことは、67 年前のきょう、 原子爆弾によって悲惨な被害を受けた、広島・長崎の被爆者がよく知っています。放 射線の被害に苦しめられ続けているヒバクシャは、どこでどのように被ばくしても、 また今どこにいても、ヒバクシャなのです。国や東京電力の不当な線引きなどによっ て分断されてはなりません。
 私たちがいま決断しなくてはいけないのは、原発をきっぱりなくしていくのか、将 来にわたって事故の危険を負いながらこれまで通り動かしていくのか、その選択です。 政府は事故原因が究明されないままに再稼働を決めました。原発施設の真下に活断層 がある可能性が指摘されても、考え直そうとさえしません。繰り広げられる官邸前や 全国各地の原発なくせの国民の声に耳を貸さない政府の姿勢は民主国家と言えるの でしょうか。
 「平和利用」の名のもとに原発を導入し推進してきた歴代政府は、核武装を真剣に 考え、常にその可能性を追求してきました。福島原発事故の後にも、「原発は核抑止 力だ。原発を放棄するのはもってのほかだ」という政治家の発言もありました。そし て原子力基本法に「安全保障に資する」を潜り込ませ、そのねらいをあきらかにしま した。
 私たちは、この流れといま正面から向き合っています。まさに正念場の時を迎えて います。
 私たちは、福島原発事故による避難者、原爆によっていまだに苦しみ続けている被 爆者、そして脱原発の志を持つ市民がこれからもともに手を携え、核兵器も原発もな い社会を目指して今日からまた、歩み続けることを宣言します。
 私たちは、広島原爆の日に世界に向かって叫びます。「原発も核兵器もなくそう!」 と。
    2012年8月6日
              広島・相生橋上流にて 8・6平和灯ろう集会参加者一同

「浪江町の馬場町長と語る夕べ」

 8月6日午後5時から原爆資料館会議室1で約150名の避難者、被爆者、市民と浪江町馬場町長とが語り合いました。町長の話も迫力がありましたし、会場からの発言も、内容が新鮮で、しかも心を打つものでした。

平和とうろう集会+浪江町の馬場町長と語る夕べ

     


講演とパレードで「原発再稼動反対! なくせ原発・核兵器」を訴える(7/16)

 東京・代々木公園に17万人の人たちが集まって脱原発の声をあげた7月16日、私たちはこの動きに呼応して広島で「再稼働反対! なくせ原発、核兵器」を訴える講演会とパレードをしました。
 講演会場の原爆資料館メモリアルホールには、300人近くが集まりました。物理学者の藤田祐幸さんが「原発と原爆の間」と題して1時間講演。子どもを放射能から守る活動をしている「pocp a poco あったか未来をつくる会」の弓場則子さん、被爆3世で福島の被災地でボランティアをした高校2年生、福島県本宮市から避難している岡本久美子さんがリレートークしました。この中で岡本さんは、「被爆地広島が世界に発信する8・6平和宣言で、核兵器廃絶だけでなく、原発はいらないということをなぜはっきりと訴えないのか。今年の宣言にはぜひ盛り込んでほしい」と訴えました。
 続いて参加者は、元安橋東詰から本通りのアーケードを通り、アリスガーデンまでを約30分かけてパレードしました。パレードだけの参加者や飛び入りする市民もいて、300人を超える人たちが、手にプカードを持つなどして沿道の人たちに「再稼働反対」「原発なくせ」と訴えました。出発前には、被爆者で会の運営委員、韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部長の豊永恵三郎さんと、Twit No Nukes 中国の森川実季さんが連帯のあいさつをしました。                 ⇒宣伝チラシ



地元国会議員に要請:再稼動撤回の行動と懇談の機会を

 さよなら原発ヒロシマの会は6月14日に地元選出国会議員に再稼動撤回の行動をされるよう要請文を送りました。あわせて、懇談したい旨、要請しました。
     ⇒地元選出国会議員への要請文


野田首相に抗議−再稼働実施の方針を撤回せよ  (6月11日)

 さよなら原発ヒロシマの会は6月11日に以下の内容の抗議文を野田首相に送りました。

 8日の首相記者会見で明らかになった関西電力大飯原子力発電所3、4号機を再稼働する最終判断に対し、私たちは強く抗議し、方針の撤回を求めます。すべての原発が停止し、危険な核エネルギーに頼らない生活が始まったことを私たちは清々しく受けとめています。このまま原発を動かさないですむのなら、さまざまな叡智と工夫で節電に努力しようとしていた矢先の発言でした。
 野田さん、あなたは会見で、「国民生活を守るため」とか「原発は重要電源」としながら、再稼働を実施する根拠として「東京電力福島第1原発事故の時のような地震や津波が起きても事故は防止できる」と述べました。あなたのこの発言を、どれだけの国民が信用するでしょうか。「3・11」を上回る地震や津波が近年に起こりうる可能性がすでに専門家によって指摘されているのです。
 それなのにあえて原発を再稼働することは、「3・11」事故の恐怖を再現させることにほかなりません。先祖伝来の田畑を失い、住み慣れた家を離れ、家族が分散して生活することを余儀なくされている被災地の人たちは、原発のために生きる環境を失いました。過去の営みがつくりだしたもの、将来にわたって子や孫たちに引き継ぐべきものすべてが奪われたのです。
 あなたの判断は、最も忌むべき「原発の安全神話」を、これまでと同じ政治スタイルで再び私たちに押しつけているだけにほかなりません。
 1年3か月前のあの事故は、福島をはじめとする広範囲な環境の放射能汚染を引き起こし、人々が被曝を余儀なくされました。私たちは今、生き方そのものを問われています。戦後政治や、情報公開を含む民主政治のあり方について根底から問題をつきつけられています。事故の教訓をしっかり引き出し、新しい社会づくりに向けて歩み出すことこそ、私たち大人に課せられた使命です。
 被爆地に住む私たちは、核がもたらす過ちを再び犯さない誓いをすべての核犠牲者に捧げています。これだけの核被害を受けながらなにも変えようとしない政治は断固拒否します。再稼働方針はただちに撤回してください。      ⇒野田首相あて抗議文(PDF)


広島県知事からの回答について見解を発表  6月5日 さよなら原発ヒロシマの会

 広島県知事に「原子力発電所の再稼動に反対してください」と要請したこと に対して5 月18 日に回答をいただいた。
 残念ながら内容は、広島県が国の出先機関を宣言したようなもので、自治体 として県民の安全・安心に責任を持つという姿勢が見られません。
「緊急安全対策」は部分的津波対策にすぎず、これまでの事故調査すら反映 されていませんし、科学的検証もなされていません。「ストレステスト」一次評 価は原子力安全委員長も述べているように不十分であり、全体を実施しなけれ ばならないものです。しかも国には安全のために規制する機関すら事実上存在 しません。このように「安全神話」をそのままにして、政治的に「首相及び三 閣僚により、再稼動の判断がなされ」ては国民の安全が確保できないことは明 白です。
 原子力発電所の過酷事故を完全に無くすことは不可能です。政府は再稼動に 当たって防災について全く無視しています。原子力安全委員会は防災指針の見 直しについて今年3月に中間報告を出して、国際基準と福島事故の教訓を参考 に全面的に改訂しました。島根原子力発電所に対して、「プルーム通過時の被ば くを避けるための防護措置を実施する地域(PPA)」とした50km圏内に広島県の 一部が含まれます。福島事故を学べば50kmという範囲は狭すぎることは明白で、 もっと範囲を広げて対策をたてる必要があります。また、伊方原子力発電所は 島根原子力発電所より少し遠いのですが、瀬戸内海に面して立地されていて、 海を隔てて風をさえぎるものも少なく、海水の汚染も深刻になります。これら の発電所の事故時には広島県は大きな影響を受けることは必死です。広島県の 防災対策が策定できないまま、原発を再稼動させては県民の安全を守れません。
 福島第一原子力発電所の事故よりさらに深刻な事故の起きる可能性もありま す。世界最初の被爆地の県民としては、県知事からの回答は悲しいものです。「二 度と放射能の脅威に苦しむことは許されない」という立場に立って県知事の職 務を果たしていただきたいと考えます。
     ⇒知事への要請文
     ⇒知事からの回答
     ⇒回答への見解


「原発ゼロをめざす運動全国交流集会」に参加して  (5月26日・難波)

 原発をなくす全国連絡会主催の「原発ゼロをめざす運動全国交流集会」の 会場に着いたのは、午前10時35分。小田川義和全労連事務局長による 「3・11共同の広がりと今後の運動について」の提案が始まったところでした。 集会が終わったのは、予定を15分延長して午後4時15分でした。
 参加者は、238人(主催者側スタッフを除く)。うち41人が発言通告をし、 発言できたのは27人。14人は、時間切れで発言できませんでした。
発言時間は1人4分間と制限され、鎌田慧さん(さよなら原発1000万人アクション 呼びかけ人)、上原公子(元国立市長、反原発首長連合事務局長)のあいさつも それぞれ10分間でという、タイトなスケジュールでした。
でも、中身はありました。各地の発言は多彩で刺激に富むものでした。 以下は感想です。

 脱原発をめぐって、全国が動いている、という印象です。
「日本で初めての『市民革命』の胎動を感じている」という趣旨の発言もありました。 (朝霞九条の会)
「いま動いているのは無党派の市民たち」(同)
「組織者が試されている。指示されないと動かない組合員でいいのか」(北海道労連) といった問題提起もありました。
「脱原発杉並(すぎなみ?)」の若者は、「主催者なし、責任者なし、誰が呼びかけたかわからない、 といわれるデモに、5000人、2000人と集まる」「ポスターやチラシは、場所と日時が間違ってなくて 『脱原発すぎなみ』の名前さえあれば、誰がどんなものをつくってもいい。結果、違ったタイプの ポスターが4種類あちこちに張り出されたりする」「パレードも、パパママ隊を先頭に出したら街の 雰囲気がよくなるとか、じゃあベビーカーを集めようと誰かが言えば幼稚園の先生が10台持って きたり、子どもが飽きるのでお菓子を無料で配ろうとするとお菓子無料カーが登場したりする」 「カラオケカ―もあるし、シュプレヒコールがしたい人はシュプレヒコール隊を結成する」といった、 爆笑ものの報告もありました。
 そんな中で、一番胸に響いたのは、
「原発がすべて止まっても、何の不自由もない。電気は煌々とともっている。 原発は虚構だったと多くの人が実感している。世論調査では8割の人が原発反対、 原発はいらないと答えている。いま、政府に政策を転換させないで、いつやるんだ」 という鎌田慧さんの言葉であり、 「原発を止められない(ゼロにできない)んじゃ、悪政もとめられない。 原発止めたら、悪政も阻止できる」という脱原発杉並の若者の投げかけです。
 「つながろう」「広がろう」「統一しよう」 という提起が、あふれていました。愛媛民医連からは「6月10日の県庁包囲デモに 全国から参加を」、原発問題住民運動福井県連絡会からも、全国からの連日の応援 に対するお礼とさらなる支援への要請がありました。


自治体要請キャラバン2日目(5月16日)


三原市市役所議会事務局にて



尾道市役所にて



尾道市市議会議長



世羅町議会議長・副議長と懇談

 田村栄子、滝史郎、古田文和、難波健治の4人で編成する自治体キャラバン第7班は16日、三原市、尾道市、世羅町の3自治体を訪れました。
 最初の三原市では、五藤康之市長の代理の生活環境課長兼危機管理室長が、「忙しい」ことを理由に立ったまま通路で私たちとやり取りするという予想外の対応でびっくりしましたが、その後は、尾道市、世羅町とも、賛同署名の要請を誠実に受けてめてもらい、大いに手ごたえを感じました。
 なかでも、尾道市議会では、壇上正光議長が時間を空けて待っていてくださり、その場で、「議長ではなく個人として」ということで、賛同署名に応じていただきました。同市議会は、昨年12月20日、「国のエネルギー政策の抜本的転換を求める意見書」を可決し、政府と国会に提出しています。
 また、世羅町議会では、奥田正和議長だけでなく、福田豪副議長も一緒に待っていてくださり、和やかな懇談となりました。同議会は昨年6月23日に、「上関原子力発電所建設計画に関する意見書」を可決しています。同意見書は、「上関原発をはじめすべての原発の新設・増設計画の中止」を政府に求めています。それだけでなく、「原発の安全性が確立していない」ことを理由に、既設の原発については、「新たな安全基準をつくり、総点検をする」よう求めています。現在でも、十分通用する内容です。
 昨年6月という早い段階で、このような意見書が、広島県内の町議会で可決されていたことに驚きました。奥田議長さんと福田副議長さんは、賛同署名について、「町議会議員全員に話をする」とも言ってくださりました。(難波)

 追記 山口寛昭世羅町長はあいにく不在でしたが、岡谷薫総務課長補佐を通じて 『私も脱原発の立場である』との伝言がありました


自治体要請キャラバンを始めました(5月15日)


廿日市市役所にて



大竹市役所にて



安芸太田町役場にて



北広島町役場にて

 「さよなら原発ヒロシマの会」
     自治体要請キャラバンをスタート

                         運営委員:木原省治
 15日からスタートした、自治体キャラバンに参加しました。
 私が、担当したコースは廿日市市、大竹市、安芸太田町、北広島町です。それぞれの市町も、残念ながら首長さんや議会議長には面会できませんでしたが、総務部長をはじめ総務関係の責任者、議会事務局長らが対応しました。
 福島で、町や村が実質的に消滅している状況を承知されているので、自治体の責任者として、この度の福島原発事故の事態は相当に深刻に受け止めているようです。

 印象に残った事を、順不同で書いてみます。
@四つの自治体に要請したのですが、自治体ごとに問題意識の差が微妙にある事。
Aなんといっても、北広島町の役場庁舎屋上です。まさにダイナミックに存在している太陽光発電装置には、びっくり。300KWくらいを発電しているそうですから、一般家庭の100軒分くらいになります。
B運動を行っている者として、少人数でもそれぞれが住んでいる市や町に「原発には反対して欲しい」「震災ガレキについて、どうするように考えているのか」といったような声を届ける事の大切さを、改めて感じました。
 こういった声がゼロでは自治体は、市民や町民の意見というものは無いと判断します。思いは、届けることで伝わるというのが鉄則です。
B私たちの住んでいる、市や町を味方にすることの大切さ。

 こんな事を感じたキャラバン初日でした。


5月6日(日)「さよなら原発つどい」を開きました


事務局長の滝史郎さんが「原発ゼロでも、電力は大丈夫」と訴える



ぎっしり埋まった会場



「これからの運動のポイントは!」を語る木原省治さん



キッズコーナーも

 日本国中の原発がすべて稼働停止した翌日の5月6日午後1時半から、「さよなら原発のつどい」を原爆資料館会議室で開きました。「さよなら原発ヒロシマの会」としては2・12、3・11に次ぐ3回目のつどいです。今回も多くの人たちが詰めかけてくださり、参加者は会場からあふれるほどで、250人に上りました。
 第1部「再稼働を許すな」では、会の事務局長・滝史郎さんが「原発ゼロでも電力は大丈夫」▽会の運営委員で、原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会の代表でもある木原省治さんが「これからの運動のポイント」をわかりやすく、しかもユーモアたっぷりに話して会場をわかせました。この後、湯崎英彦広島県知事への要請文を読みあげて採択しました。要請文は7日、運営委員ら13人が県庁を訪れ、藤谷吉秀危機管理監に手渡されました。
 つどいの第2部は「震災がれき広域処理問題」の徹底討論。いずれも会の運営委員である詩人のアーサー・ビナードさん、三次市在住の主婦徳岡真紀さんの二人がコーディネーターとなって進行しました。会の共同代表の一人、青木克明さん、市民グループ「POCO A POCO」の長橋綾子さん(広島市在住)、東北から避難者を受け入れ支援している「ひなの会」の信恵勝彦さん(尾道市在住)の3人がパネリストをつとめました。会場からも発言が続き、午後4時半でいったん、会を閉じた後も、約80人の人たちが会場に残って、意見を交換しました。東北や関東からの避難者の人たち、福山市や府中市など県内各地の市民から、震災がれきの広域処理の意味を問う発言が午後6時まで、熱心に続きました。

徳岡真紀さんとアーサー・ビナードさんの司会兼問題提起で「震災がれき」の広域処理を語りあった


3人のパネリスト。右から永橋綾子さん、青木克明さん、信恵勝彦さん



3月11日「さよなら原発のつどい」も会場いっぱいの盛会

 東日本大震災から1年、3月11日、全国各地で追悼や、大きな被害をもたらしている福島原発事故に対して脱原発の声を上げる集会が行われました。
 広島でも、いろいろな取組がなされましたが、私たち「さよなら原発ヒロシマの会」は、午前10時から、「3・11追悼 さよなら原発のつどい」を原爆資料館メモリアルホールで開催しました。会の共同代表のひとり、児童文学者の三浦精子さんが、子どもたちのために全原発を廃炉にすることが大人たちの責務といった話をされました。この夏にむけてのエネルギー政策について話される予定の木原省冶さんは、アメリカのアトランタへ新設原発抗議集会に急遽参加されることになり、ビデオメッセージとなりました。次に日本反核法律家協会会長の佐々木猛也さんは、これまでの原爆症認定訴訟などの事例を踏まえながら、広島と福島の「ヒバクシャ」の実態を話されました。原発と原爆のつながりは今後さらにはっきりさせていかねばならないとの言葉に、広島に生きるものとしての責務を改めて考えさせるものでした。最後に会としての今後の行動提起を確認しあいました。参加者は会場いっぱいの400名でした。
 11時半に集会は閉会し、参加者の一部は「3・11ヒロシマ発・市民集会」に加わり、原爆ドームから広島市中央公園までパレード。
 午後1時には、広島市中央公園に集結した2000人参加の「さよなら原発1000万人アクションinヒロシマ集会」が行われました。日差しが射すものの、風が強まって寒い日となりました。しかし、呼びかけ人4人の挨拶は原爆症の体からふりしぼるような力強いメッセージでした。続いて山口県上関原発阻止の30年の戦いと現状報告が祝島からあり、さらに妻子が広島に転居、自らは被災地と広島を行き来しながら、福島の現実と向き合う被災者の訴えがありました。参加者は子供連れなど若い姿もありましが、やはり高齢者が多数でした。そんな中で祝島にも出かけ体を張って戦う青年の「若者からのアピール」は、会場を勇気付けるものでした。
 その後、「さよなら原発」と書いた黄色の紙を手に手に、市内をパレードしました。「さよなら原発!」「原発よりもいのちが大事!」「ノーモア ヒロシマ!」「ノーモア フクシマ!」「ノーモア ヒバクシャ!」の声が、今にもまた降ってきそうな暗い空を突き上げるように、広島の街に響きました。
    ⇒案内ポスター
    ⇒佐々木氏講演資料
    ⇒木原氏講演資料
    ⇒木原氏メッセージ

2月12日「さよなら原発ヒロシマの会発足のつどい」を開催、正式に発足

 広島平和記念資料館 会議室1で午後2時から約350名の参加者を得て開かれました。
 最初に会の発足までの経緯と、当面の活動を報告。続いて福島からのメッセージを話していただきました。福島市在住の等々力さん、いわき市から避難されている女性、東京から避難され地域で奮闘されている徳岡さんの3名で、いずれも家族の別居、子供さんの被曝の不安が深刻な問題です。また、福島県における医療費無料化問題について林紀子さんが訴えられました。
 「さよなら原発トーク」はアーサー・ビナードさんのトークを交えた司会ですすめられ6名の方にそれぞれの立場から「想い」を語っていただきました。青木克明さん、森瀧春子さん、宗籐尚三さん、田中稔子さん、佐々木猛也さん、中澤晶子さんで、印象深い話でした。
 最後に2・12ヒロシマアピールを採択して終了。登壇者は皆、時間を気にして短く努められましたが、溢れる想いで、予定を50分も超過してしまいました。
 またせっかく会場までお越しいただいたのに、狭くて入りきらず聞くこともできなかった方には大変申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。

報道されたものをいくつか紹介します
中国新聞ニュース
共同通信からの配信によるニュース
YouTube

記者会見で「さよなら原発ヒロシマの会」立ち上げを発表(12月26日)





 湯崎英彦広島県知事へ「再稼働に反対してください」と要請。滝史郎事務局長の渡した要請文を受け取る藤谷吉秀危機管理課参事(5月7日)
     ⇒知事への要請文




さよなら原発ヒロシマの会
〒730-9951
広島市中区大手町4-2-27-403
広島共同センター内
TEL:082-245-2501
FAX:082-245-2502
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